北九州市民球場は、北九州市で唯一プロ野球が開催される球場です。ここでは、北九州市民球場の歴史についてご紹介します。

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北九州市民球場

北九州市民球場の歴史

北九州市民球場の歴史1

太平洋戦争終結から間もない1948(昭和23)年7月、小倉市浅野町(現 小倉北区浅野)に小倉豊楽園球場が開場。西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)を中心にプロ野球試合が年間10試合前後開催されていたが、国鉄小倉駅の移転により取り壊しが決定。この豊楽園に代わる新しい球場として1957(昭和32)年9月15日、現在の地に小倉市営野球場(通称 小倉球場)は誕生した。
こけら落としは西鉄ライオンズ対阪急ブレーブス1回戦。同年春は平和台野球場が改装工事を行っていたため、これが西鉄の開幕戦となった。

北九州市民球場の歴史2

その後も長い間西鉄(球団名はのちに太平洋クラブ、クラウンライターと変遷した)の準本拠地として年間20試合近くを開催。特に1965(昭和40)年は西鉄主管70試合(当時ペナントレースは140試合制)を当球場と平和台球場で35試合ずつ分け合って開催。
(野球協約では専用球場で主管試合の半数以上開催することが義務付けられているので、ギリギリであった)

北九州市民球場の歴史3

1978(昭和53)年秋、ライオンズが埼玉県に本拠地を移転し福岡を去る。
この影響でプロ野球公式戦の開催数が激減したが、1988(昭和63)年秋にダイエーが南海ホークスを買収し、福岡に本拠地を移転する旨を発表。
これを受けて北九州市は小倉球場を大規模改修し、翌1989(平成元)年から球場名も現在の北九州市民球場に改称した。
同年以降、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)が準本拠地として年間5試合前後の主催公式戦を開催してきた。

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